「みんなと違う」はチャンス!

●ページ内メニュー

1 「病気」になったから「気づく」ことができた
2 大人の期待通りでいたかった子ども時代
3 「人と違う」ことをする覚悟
4 「人と違う」から「提案できる」

「病気」になったから「気づく」ことができた

「パニック障害」だった時期は、心も身体もボロボロでしたが、今思うと、その時期が私のその後の人生を大きく変えてくれた「きっかけ」となりました。

中学生時代、学校に行くのが辛く、行けたとしても保健室ばかりでみんなとは過ごせなかったけど、沢山自宅でテレビや映画を観たり、マンガ本にはまったり、沢山音楽を集めて、そのうちに絵を沢山描くようになりました。

身近な人の考えだけでなく、本の作家さんの世界観や、色んな考え方を知って、自分の好みや、憧れがわかってきて、将来の自分を多方面から想像できるになりました。

その中で、小さい頃からイラストをよく描いていたことを思い出し、自分の内側の世界を表現できるようになったことで、「本当は私は絵を描く仕事をしたいんだ!」と気づくことができました。

海と山しかない、電車もないような田舎者な私たちにとっては、「デザイナー」「イラストレーター」なんて、叶うわけがない、現実的ではない仕事でしたが、「なりたい」と心が決まったら、「どうやったらなれるか」を探して、やるしかないのです。

体調が悪かったので、周りのみんなのように学校や仕事に行けない時期もありましたが、時間がかかってもあきらめなかったので、「デザイナー」「イラストレーター」になれました。

「夢」は「実現するまで続ける」と叶うんだよ、と子どもたちには話しています。

大人の期待通りでいたかった子ども時代

「パニック障害」になる以前の自分は、中学校でも「学級・学年委員」をしたり、勉強も好きだったし、積極的でした。
偏差値の高い高校へ進学して、国立大学に行って、「誰もが評価してくれる安定した職業」を目指すのが自分の道だと思っていました。

「おりこうな子」「できる子」「しっかりした子」という、「大人の期待どおりの子」をとても気に入っていたし、心地良く感じていました。

しかし思春期に体調を崩したことで、一気に世界中が自分から離れていってしまったように感じて、「自分はどうしてみんなと同じようにできないんだろう」と、ひとりで悩み続け、「本当は、絵を描く仕事がしたい」と気づいたときに、一本の映画が、私の「進路」を決めてくれました。

「人と違う」ことをする覚悟

スタジオジブリの映画「耳をすませば」。
主人公の中学3年生の「雫」が「高校に行かない!」と言ったことに家族が猛反対しますが、最終的にお父さんは「雫の好きなようにさせようか」と、本人がやりたいことを尊重します。

「よし、雫、自分の信じる通りやってごらん。 でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。 何が起きても誰のせいにも出来ないからね。」

スタジオジブリ映画「耳をすませば」より

中学3年生だった頃の私は、何度も何度も、この映画を観ました。
一日中、毎日観て、雫のお父さんの言葉を、自分に言い聞かせたのだと思います。

大人になった今思い返すと、その当時は、私の父が亡くなってからまだ1年も経っておらず、私の「進学」についても、とても楽しみにしてくれていたので、「周りの期待とは違う道」に進学したい、なんて思う自分に罪悪感しかありませんでした。
しかも当時は、私が育った環境では、田舎の中学生が「デザイン」の道に進むなんて、全く現実的ではなかったからです。

父の葬儀で、父の会社の方が
「あなたが娘さんですね。お父さんが、あなたのこと、自慢の娘だと話してましたよ。」と教えてくれたので、亡くなった父ががっかりするのでは、と考えていました。

「人と違う」から「提案できる」

思い切って、デザイン美術のある高校に進学したい、と言ったときに、快く応援してくれた母にはとても感謝しています。
その後妹も同じところに進学することができ、遠方からの通学や、奨学金の苦労もありましたが、何よりも母一人で私たちを育てていくのは大変なことだったと思います。

周りの大人からは、「勉強ができたのにもったいない」「もっと良い道があったのに」と言われ続けましたが、私には「この道」こそ「自分らしく生きられる道」だったので、体調が悪くても、自由な気持ちでいられました。

高校のクラスは、パワー溢れる集団で、 3年間ずっと同じクラスということもあり、最高の「仲間」でした。
全員が、個性的で、考えも様々。 クラス内でぶつかり合うことも多々ありましたが、「あれをしたい!」「これがいいね!」と「これからどうしたいか」を常に話し合える、充実した毎日でした。

作ってくる作品も違うし、考え方も違う。
それぞれの「良さ」を、学校の課題作品を通じて認め合い、「人と違うからおもしろい!」ということをそれぞれが感じていました。
すごく大人しい子も、流行最先端みたいな目立つ子も、みんな「仲間」で最強の「チーム」でした。

家庭の事情もあり大学進学は諦め、学生のみんなをうらやましく思う時期もありましたが、「社会人としての経験を早くから積むことができた」事実もあります。

大人になって「デザイナー」として仕事をしていくなかで、「みんなと違う視点」を活かして商品を企画し、「提案」することで、「人に喜ばれるもの」に繋がっていき、今では日常生活で「変わってるよね」と人に言われても、「褒めてくれてありがとう!嬉しい!」と感じます。

父は天国で、今も私の人生の「全て」を応援し、認めてくれていると思います。

私自身が選んだ人生を、信念を持って楽しく生きていけば、どんな道であっても「自慢の娘」になれると、私自身も「親」になった今、気づくことができました。


 

〇 関連記事
 学生時代に辛かったこと
 社会人生活で再発
 病院と薬を希望に
 昼夜が逆転した生活
 結婚を機に薬をやめる
 不妊治療・妊娠・出産の不安

匿名電話カウンセリングはこちらから詳細確認・ご予約いただけます。(外部リンク)